# アイとマニーを送ろう・届けよう/報告と日記 (日記編)
2011.06.14 Tuesday
イノチの音旅
TwitterでのつぶやきをまとめましたText : あずみ
2011年05月13日(金)
【イノチの音旅1日目】
午前10時 東京出発 栃木/大田原市へ
cafe_charleston さんからのご縁でお米10俵を提供していただくことに
いつものハッパ丸から大きめの1ボックスに乗り換え、
支援物資とアイとマニー満載で東北へ
posted at 10:33:28
2011年05月14日(土)
朝7時 南会津出発
121→289号線を抜けて白河ICから東北道
無数の補修跡
鏡石PAに着いたとたん地震 みんなあわてて建物の外に出る
コンビニの中は傾き,ズレ,平衡感覚が歪む
まもなく郡山 今日はいわき市へ
posted at 08:51:23
福島 アルマレアル「みんピク」
まさに老若男女みんなで唄って踊って汗をかいて笑った
ライブの後、多くの方の311のおはなしを聞く
今日ここにいたのは 'ギリギリのところで命拾いをして、
今日を生き抜いている' ヒトたちなんだと実感した
生きて会えたんだ
posted at 22:14:47
たった10km先で爆発した1号機の轟音を聞いた男性
100m手前で止まった津波
震災から6日間音信不通で東電で働く旦那さんの帰りを待ち続けた女性
311の3日前に出産した女性
2ヶ月続く避難所生活で気丈な母親の涙を初めて見た男性
お届けした玄米はあっという間になくなりました
posted at 22:19:59
2011年05月16日(月)
311あとに見た仙台は
117あとの神戸に少し似ていた
神戸ほどではなかったけど、ビルに無数に入る亀裂 余震でなかなか片付かない様子
「住居をお探しの方」「義援金シャンプー」手書きのチラシ 多くのサラ地
神戸のおばあちゃんの声を思い出した「今は、楽しかったらええねん。なんでも」
posted at 10:45:19
仙台PANGAEA みんなとサウナ状態で踊って鳴らす
あの日を生き延びたヒトビトは 今 ギラギラ輝くほど生きてる
胸の奥でまだまだ揺れながら
それでも「復興」というベクトルに猛進している
「ヘコんでばかりはいられない」ちだ原人の新曲は地震と津波を抱きしめ笑ってた
posted at 10:48:10
たくさんのヒトが遠くからわざわざ足を運んでくれて
「生きて会えたー!」と手を握ってくれた
「アイとマニー」の話をしたら
「ありがとーーーーー!」の声が飛んだ
西日本,関東のみんな、 東北のみんながすごく喜んでくれてるよ
今日は石巻に入ります ちゃんと届けてくるね
posted at 10:48:26
2011年05月17日(火)
石巻/1 ガンベちゃん イクエちゃんの案内で津波の景色の中へ入っていく
川に転がる車,車 生活がすべて瓦礫に姿を変える
残った建物はボロボロになった1階が震えるひじを伸ばしやっと2階を支えている
そのおびただしい連なりが終わらなかった
posted at 01:37:02
石巻/2 市街を中心に在宅避難で暮らすヒトビトを訪ねた
マスク,お米,国産有機大豆のお味噌をお渡しすると、何度も感謝の言葉が返ってきた
GW後 救援の人の数、自衛隊の数も目に見えて減ったという
圧倒的に壊滅した町の中で、それでも「復興」に照準を合わせ生き抜いていた
posted at 01:37:25
2011年05月18日(水)
満月/石巻ライブ すべてを祭った
見えてるヒトも 見えないヒトも 波も泥も瓦礫も
お囃子にみんなが乗っかって 神輿担ぎのような空間になった
家をなくしたヒトも 家族を亡くしたヒトも
車の屋根に、電信柱にしがみついて命を取り留めたヒトも
泣きながら笑って大声で遊んだ
posted at 09:30:31
昨年8/15から私たちとずっといっしょに旅してきたJUNEさんのキャンドルを、
ミカさんに託してきました。
石巻はまだまだちいさい揺れが続いています。復興に10年はかかると言われている。
この場所でこの灯りがみんなの笑顔を照らしてほしいと願っています。
posted at 09:33:43
2011年05月19日(木)
青森入り 311のその瞬間を迎えた蕎麦屋「おきな」でアツい再会
ちょっとドキドキしながらおソバを食べる
今夜は苫米地 ヤス子さん宅へ
posted at 18:01:43
2011年05月21日(土)
花とハーブの里 窓を開けると土の匂い
カッコウやたっくさんの鳥の声 山櫻 水仙
ここの朝はいつも特別に気持ちいい
菊川さんの小さな笑顔が大好き
被災地を回り青森まできて自分の中の新しいウネリを感じています
今日は本州最果て大間へ
posted at 06:32:32
あさこはうすの厚子さんへ、
菊川さんから今年最後になったチューリップのブーケを託されました。
食べ物がないといけないからと、山芋の磯辺揚げ,ゆで卵,玄米おむすびなど
お弁当も詰めてくださいました。
青森でふんばる女性たちは、優しくて凛とした方ばかり。
美しい未来を見届けてもらいたい。
posted at 09:54:05
2011年05月22日(日)
大マグロック無事終了
雨は降ったりやんだり 風は海からの強風 体感温度は5℃なかったんじゃないかな...
でもこのしまじゅうからこのほしを愛するアツいパワーが集結
昨夜は全力で大間を祭った
みんなは泥を踏み鳴らし 声をあげ 「現場」というおみやげを手にした
posted at 08:24:59
現場に行って体験すると、それはいちばん正確な「情報」となる
感じて自分で判断し行動たことは、自分にとって(他のひとにとっては逆でも)
いちばんの「正解」となる
人間力を高め「自分で」ジャッジし、このしまの生まれ変わりを見届けよう
生まれ変わりを創ろう
posted at 08:30:38
2011年05月26日(木)
陸前高田 気仙沼をまわる
車内で思わず身体がのけぞりため息が出るほどの光景
考えられないほど広範囲の津波
海なんてまったく見えない場所もたくさんある
地盤が下がり消えた元の海岸線 とにかく とてつもなかった
posted at 00:17:03
唐桑半造レストハウス 国立公園の断崖
打ち寄せる波とその音 日が暮れると満天の星空
地球さんは何億年も前からずーっと美しかった
わたしたちが鳴らす音はほんの一瞬の出来事だけど、
半造という名前の地球さんと、災害支援のベースキャンプのレストハウスと、
そこに居合わせたヒトビトを讃えた
posted at 00:27:32
2011年05月27日(金)
24日の岩手 盛岡 MOTHER
盛岡は比較的被害は少なく、にぎやかな町並みでした。
みんな被害の大きかった地域への救援活動を行っていて、
それらの報告やラビラビが見てきた311後のこのしまの様子などトークも行いました。
秋田、青森のラビラブピーポーにも、生きて会えました。
posted at 09:08:37
25日 宮城 気仙沼 半造レストハウス
陸前高田の現状を目の当たりにした後、その途方もない復旧作業に
日々従事するボランティアの方々への演奏でした。全力で気仙沼を祭りました。
ボランティアの方もラビラブピーポーもモンさんの家族も加わって、
大宴会になりました。
posted at 09:09:18
宮城:2 みちえちゃん夫婦は、
自身の家、両方のご両親の家も津波で流され
2ヶ月避難所を転々とし最近やっと家が見つかった。
「この服ぜんぶ救援物資」
「全部流されて物理的なものなんて大したことないとつくづく思った。
大切なヒトが生きててくれたら」と笑う二人はとてもたくましくてステキでした。
posted at 09:13:43
2011年05月29日(日)
新潟 長岡 ボロとノラルカ
みんながあたりまえのように「おかえり」と迎えてくれる
胸のまんなか おなかが ポカポカするような幸せなライブ
深い体験をした旅だったからあったかい笑顔が染みた
ライブ後のトークシェアも充実
人間力の高さにあらためてリスペクト VIVA!チーム新潟
posted at 07:50:59
2011年05月30日(月)
即興体験ワーク@シャロム
心の手拍子とウコウクで音の波と遊ぶ 全身で声を上げ汗だくの笑顔
石巻から避難してきた女の子は涙がいっぱい出た
生死を分けた瞬間から揺れ続ける心の日だまりに、一瞬でもなれたら
posted at 18:18:01
お昼を食べて安曇野を出発 諏訪湖SAで旅をしめくくるミーティングを4時間
3週間ぶりの高尾へ着地 深い旅だった
アイとマニーの報告を近々まとめます
西と東、つながった!
年内に2周目かならず行きます。
posted at 23:26:46
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・いのちの音旅レポ - Text : Piko
・アイとマニーを届けよう!で感じたこと。 -Text : Nana
・アイとマニーを送ろう・届けよう / 報告と日記(報告編)
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